~ 声❇︎音❇︎言葉 ~

反応を反応のまま、くわえずけずらず、整えています

weeklyochiai(20190320)

 

昨日のウィークリーオチアイのゲストの方の話で、「宿命に耐え、運命と戯れ、使命に生きる」という話があって、こんな重い言葉を口にして言葉にすると、嘘くさく薄っぺらに聞こえそうなのに、聞いていて自然な感じで、凄い方だなと感じた。

こんな言葉を自分の声で話せる70代がいるんだという、「え゛っ」と声がでるほどハッとするようなことはなかったけれども、たしかな驚きがあった。

 

センス≠スキル

 

先日NewsPicksアカデミアに入会した。

コンテンツを見終わったら退会しようと一か月だけ入ることにした。

全30ぐらいのほぼすべての動画を見た中で特に印象に残ったのが、楠木健さんがお話されていたセンスとスキルの話。

センスとは学ぶことで身につけるものではなく、すでにあるもの。あるものを磨くことはできるが、ないものを身につけることはできない。

一方、スキルは学ぶほどに身につく。

センスはあるかないか。自分にあるかないかを知ることがまず重要で、ないことがいけないのではない。

この、センス・スキルが持つ役割への洞察や理解が、その後の成果や結果を生む土台となっていくんではないかという仮説が生まれた。

未来の自分の目

 

あるラジオを聞いてて出てきたことばが引っかかった。未来の自分の目からすると、価値があるものであれば、いい。よもすると、他人の目を使って、発言や行動の良し悪しをはかりがちになる。

いまの行動や発言、考えが、未来の自分が見たときに、お、と気分がたかぶるようなものかという目を大切にしてみようかと思った。

いいラジオだった。

 

高みより足もとに寳あり

 

高みの星にいくら手を伸ばしても届かない。

届かないことはないかもしれないが、その宝は誰もが手を伸ばして、つかもうとしている。

だから、目をむける方向を地にかえる。

土は水分が多く沼になってないか。

空洞がぼこぼこできてないか。

ほとんどの人が目をむけない方向に気をやって、地を変えるというか、整えることで

結果的に、つかみたかったものに近づくっていう、ま、ドラマチックさにはかけるかもしれないけど、そうゆうところに寳があるんじゃないでしょうか。

どうしてもやりたいには2種類ある

 

時間に追われあれがしたいこれがしたいのに、時間がないできないっていうやりたいことは、往々にして時間があるようになったときに、やりたさが半減する類のやりたいこと。

もう一つのやりたいは、時間がなくてもあっても、やりたさに上下はすくなく、また時間を作ってでもやっている。

時間のない状況とある状況を経験してこのことを体感した。

やりたいことは、どんなに忙しくても、時間を作ってやっている。

やりたいことは何かってことよりも、なぜそれがしたいのかに答えられることのほうが重要かもしれない。

 

 

ほんとらしい声

 

話されている声がほんとらしさを感じるか感じないかという見方は、たぶんここ、半年くらいで、明確になってきた判断基準。

なぜ、真実味を感じるのか感じないのかは分からないが、内容以外の音に引っ張られている、まったく引っ張られないことが、あるなってことに気がついた。

ほんとらしさの奥、背面にあるものはなにか?と考えると、複数点仮説が思い付いた。

一番可能性のあるものは、経験値。

実際の体験から感じられた感情をともなう意見には自然な穏やかな重みが含まれるってことなのかもしれない。

 

最近一番、ほんとらしいなって感じる声は、ライフネット生命の出口さん。この方の話し方や語々は、ついあふれているという無理のないなめらかさがある。