~ 感と理と門 ~

感と理をもって常識や科学という門を解きたいという欲をもつ人の文々

テクノロジーの波に流されるもの、流されないもの

 AIが仕事を奪うという言葉が、何度も何度も広告のように目の前にあらわれるようになった。

 
テクノロジーの進歩によって、

パソコンやスマホが当たり前になり、消費の方法が多様になった。
 
過去に、大手スーパーが、商店街を衰退させたように

新らしいテクノロジーが大手スーパーを覆すのだろうか。
 
AIが入ることで、大手スーパーのありようはどのように変わるのだろう。
 
駆動する機械が、人間の仕事を奪うという未来の事実を、想像したときに

自然と出てきた感情は、じゃあ仕事って何?という疑問。

仕事に対する、懸命さや愚直で泥臭いありようは、なんかかっこいいなと感じる。

そうした見方すらも、AIは奪っていくのか?

 

テクノロジーが何を消し去り、何を押し上げるのか?

を考えると

テクノロジーは合理化の流れなので、無駄を消し去る。

というのと、だから逆に、人は無駄や余計なこととくっ付いていた

掴みどころのないもの、見方が見直される、という二極の流れがあるように思う。

 

 無自覚→自覚・機能→感覚・合理→無駄・同様→差異・その物→見方 

 

テクノロジーが進むからこそ、無駄が削がれた便利な世界になる、からこそ

“そんなんやっても無駄”だった固有のおかしさやあやうさが意味をもって浮かび上がってくるようになる。


 

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